Important History(歴史)
レッドソックスの歴史の一部として忘れられないのが、「バンビーノ(ベーブ・ルース=Babe Ruth)の呪いは破られた。-Curse of the Bambino-」2004年、ボストンレッドソックスはカージナルスのワールドチャンピョンシリーズで勝利し、1918年以来86年ぶりのワールドチャンピョンになりました。
ボストンレッドソックスは1901年に創設され、1918年までの間にワールドチャンピョン5回制覇するほどの強豪チームでしたが、2004年まで80年近く1度もワールドチャンピョンには輝けずにいました。いつも勝利を目前にしながら逃してきた原因としてレッドソックスファンの間では「ベーブ・ルースの呪い」が信じられています。
この「ベーブ・ルースの呪い」とは、球団経営が苦しくなったレッドソックスが看板バッターであったベーブ・ルースを宿敵であるニューヨークヤンキースに身売り後、優勝できないという伝説です。
ベーブ・ルースとジミーフォンド

1948年にラジオの人気番組の司会者が、チルドレンズ・ホスピタルで癌の治療中の子供の部屋にインタビューに行きました。野球が大好きな1人の男の子、ジミーの好きな選手や監督などチーム一同が、彼を見舞ったというエピソード。その後、小児癌の寄付を募ったところ、寄付が殺到、それが資金となり、1952年にDFCI(Jimmy Fund)が建てられました。
1976年、フェンウェイパークの左フィールドにあった古いグリーン・モンスターの一部を売り払い、ジミーフォンドに寄付。
当時、アメリカでも子供への癌告知は行われていなく、まだ癌が治ることはまれな時代だったため、小さい少年ジミーは他界したと思われていました。放送から50年後の1998年に、元気で生きてる「ジミー」が名乗り出て、当時もらったブレーブスのTシャツをフェンウェイで公開。その後も、ジミーファンドの寄付は毎年募集され、その時期になれば映画館で帽子を回したりもしていたそうです。
ベーブ・ルースは、1919年にレッドソックスが、ヤンキースにベーブ・ルースを売り飛ばして以来、ヤンキースでその後約25回も優勝。ベーブ・ルースも癌(初期の葉酸拮抗剤の治験の著効例)で亡くなりました。
レッドソックスが生んだ不世出の大打者であるテッド・ウィリアムス。「打撃の神様」と呼ばれ、レッドソックス一筋の19年の現役生活で2度の三冠王に輝いた。今も521本塁打、通算打率.344は古巣レッドソックスの球団記録として残っている。また通算OPS1.116はベーブ・ルースに次ぐ歴代2位、通算出塁率.482は歴代最高の数字である。Untouchableと言われる出塁率5割を3度も達成しており、さらに.490台を4度も記録した。1966年には野球殿堂入りも果たし、彼の背番号9はレッドソックスで永久欠番となっています。1941年にシーズン打率.406を記録し、以来メジャーリーグにおいて4割打者は誕生していない。



