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ボストンマラソン

連続して続いているマラソンとしては世界一古い伝統のあるマラソンで、ボストンで1番大きな行事の1つです。ボストン・アスレチック・アソシエーション(B.A.A)が主催するボストンマラソンはマサチューセッツ州の特別な祝祭日(愛国者の日、ペイトリオッツデイ)になり、毎年4月19日に近い月曜日に行われます。

祝祭日は、ボストン郊外の Lexington(レキシントン)と Concord(コンコード)で独立戦争が起きた日を記念したものです。ボストンマラソンは、独立戦争でイギリス軍が行進した道を走るという提案から始まったのですが、公式マラソン(42.195キロ)としての距離が足らず、現在のコースになりました。また、現在のコースになるまでに何回かコースは変更されています。1923年までは、スタート地点はアッシュランド、ゴール地点は3回変更されていて、1964年まではB.A.A.のクラブハウスがあったレノックスホテル前、1985年までは、スポンサーだったプルデンシャルビル前、そして、1986年からは現在のゴール地点、ボストン公共図書館の前になりました。(現在のスポンサー、ジョン・ハンコックの自社ビル付近)

参加者・参加資格者


■ 第1回ボストンマラソン

1897年に行われ第1回ボストンマラソンでは、スタート地点のアッシュランドから走り出したランナーは15人で完走したのは10名。優勝はニューヨークのジョン・マクデーモットで、時間は2時間55分10秒でした。70年間は男性の参加者だけでしたが、1970年より女性も正式に参加出来るようになりました。 

 

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■ 第100回大会

1996年に行われた第100回大会(38708人の参加者)を記念して、コープリー広場、ボイルストン通り側にボストンマラソン記念碑が作られました。記念碑には8色の石(8つの市町村)を使用したマラソンコース、コースの高低差の表示を中心に、周りを優勝者に送られる月桂樹のリースで飾った円型のデザインになっています。この記念碑には第1回大会から現在までに優勝した選手の名前と完走時間が刻まれています。

 

■ 日本人選手とボストンマラソンの歴史

ボストンマラソンは日本にも名が知られているマラソンで、第2次大戦後、海外でのスポーツとして最初に日本人優勝者を出した大会でもあります。1951年に当時の日大1年生・田中繁樹さんが優勝したのを初めに、53年には山田敬蔵さん、55年には浜村秀雄さん、65年には重松森雄さん、66年には君原健二さん、69年には采谷義秋さんが優勝しています。最近では同時期に多くのマラソン大会が開催されるため、日本陸上連盟がトップランナーを派遣することが少なくなってきました。瀬古選手は81年、87年と2回優勝して以来、99年に有森選手が女子の第3位、去年の2006年の上位25位以内に日本人選手が3名入りましたが、日本人選手の優勝は残念ながらいません。


■ ビル・ロジャース

1975、78、79、80年と4回もボストンマラソンで優勝し、瀬古利彦選手と心臓破りの丘では壮絶な走りを見せたビル・ロジャースは、ニューヨークマラソン、福岡国際マラソンでも優勝しました。現在はボストンマラソンの解説者として活躍中。ビル・ロジャースの経営するお店はファニエルホール・マーケットプレイスにあり、福岡国際マラソン優勝の楯を初めとして、店内はマラソンの記念品、写真、ポスターと、マラソングッズが沢山あります。
詳細はビル・ロジャースの公式サイト:http://www.billrodgers.com/

ボストンの公式サイト:http://www.boston.com/sports/marathon

 

 
 

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■ ボストンマラソンのコースと特徴

ホプキントン(スタート地点)→アッシュランド→フラミングハム→ネイティック→ウェレズリー→ニュートン→ブルックライン→ボストン(ゴール地点)、8つの町を走ります。

折り返し地点がなく、下り坂が多いコースですが、「心臓破りの丘」でペースが乱れる選手が多いです。コースの間には、高い所は138メートル、低い所は14メートルと、124メートルもの高低差があります。心臓破りの丘(Heart Break Hill)の高低差は56メートルもあります。ボストンマラソンの特徴は、派手な格好でパフォーマスをしながら走る参加者、会社の代表で営業感覚で走る参加者、不登録者と様々な参加者がいるので、真剣なマラソンの中にユニークさを感じることです。

スタート地点のホプキントン

当日、一般の車はスタート地点まで行くことは出来ません。スタート地点近くにあるホプキントンステートパークからB.A.A.の用意するシャトルバスを利用してスタート地点に行くことになります。ステートパーク:高速道路90(マスパイク)EXIT12→9W→85S→ホプキントン、左側ステートパーク。スタート地点の通り(135号線沿い)にはホプキントンタウンコモン(公園)があり、出店が沢山出ていてにぎやかです。スタート地点ならではの緊張感、活気溢れる参加者の姿を目にします。

ニュートンの「心臓破りの丘(Heart Break Hill)」

約7キロの間に3つの大きな上がり坂があります。最後の上がり坂、30号線に入ると少しずつ坂になり、ニュートン市役所付近にあるジョニー・ケリー(ボストンマラソン61回の参加記録保持者)の銅像を過ぎると心臓破りの丘が始まります。毎年、壮絶な走りを見せる参加者、最も苦しい地点であり、勝敗を分ける場所とも言われています。ジョニー・ケリーは20歳(1933年)の時に初めてマラソンに参加して以来、合計61回(58回完走)ボストンマラソンの歴史に残る選手です。そして、14年間に優勝2回、準優勝7回、18回トップ10という輝かしい記録を残しています。最後に彼が完走したのは84歳の時でした。1936年にニュートンの心臓破りの丘で彼の懸命さと活躍に感動したボストングローブの記者、ネイソンがジョニー・ケリーの事を取り上げた事から、ジョニーに敬意を表す彼の銅像が出来ました。

ケンモア・スクエア

スタート地点、ゴール地点の次に人々が集まる場所として知られるケンモア・スクエア駅周辺。アメリカ最古の球場(レッド・ソックス)もあり、野球の試合とボストンマラソンが同じ日に行われる事もあります。渋滞を巻き起こすレッド・ソックスの試合、マラソンと同じ日には約100メートルの距離を、道路が見えなくなるほど人で埋め尽くされます。選手が吃驚するほど活気に溢れる人たちの応援が続きます。

ゴール地点のコプリー周辺

ゴール地点のコプリー・スクエア(公共図書館前)、ゴールラインは毎年新しくが引かれ、周辺はプレス用の特別席、ボイルストン通りには観客用の柵が立てられます。グリーンライン・コプリー駅は閉鎖となり、ボストン公共図書館前は一般の人たちは立ち入り禁止となります。前日の夜は夕方の18時頃からゴール地点を通るボイルストン通り、コープリー近辺の通りは閉鎖されるので交通状況が悪くなります。当日は他の駅を利用する事になりますが、道路を渡るのが非常に困難で、ゴール地点に行くにはオレンジラインのバックベイ駅を利用するのが1番便利です。先頭の選手を見るには遅くとも14時にコープリー周辺にいないと見れません。スタート地点同様、ゴール地点ならではの光景を目にします。

RATE: 一般$130 インターナショナル$175 駐車場: おすすめ度: ★★★★★
2010年4月19日(月)
ボストン

  • 楓
  • 工事中
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