セルティックス
ボストンスポーツチーム
ボストンはレッドソックス(野球)やセルティックス(バスケットボール)等の強豪チームの本拠地として有名です。この他にもニューイングランドを本拠地として活躍しているペイトリオッツ(アメリカンフットボール)やボストン市内にリンクを持つブルーインズ(アイスホッケー)等、大変スポーツ色の強い街になっております。
セルティックス
ボストン•セルティックスはその名の通り、ボストンに拠点を置くバスケットボールチームです。2008年NBAファイナルに進出し、優勝した事はまだ記憶に新しいチームですが、そのファイナル優勝にたどりつくまでに、22年の年月が掛かった事をご存知でしたでしょうか。
由来1)Celticはケルト人(アイルランドの先住民)のこと。米国が英国から独立する発端となったボストンに多くのケルト民族が移住してきたことに由来。初代オーナーのウォルター・ブラウン(ボストン•ガーデンのオーナー/現TDバンクノースガーデン)が命名。
由来2)セルティックスの名は、1920年代にニューヨークを本拠地としていた強豪チーム、ニューヨーク・セルティックスにあやかってつけられている。このニューヨークを本拠地としていたチームをオリジナル・セルティックスと呼ぶ。
設立年度—1946年
トム・ヘインソーンー1956年、ボストンセルティックスに入団。セルティックス入団後以降はその生涯をボストンセルティックスに捧げ、2008年までセルティックスが達成した17回の優勝に何かしら関わっている人物であり(選手、コーチ、解説者、助言者等)彼の背番号『15』はセルティックスの永久欠番でもある。1986年にはバスケットボールの殿堂入りを果たしている。
ビル•ラッセルー本名ウィリアム・フェルトン・ラッセル。1956年ボストンセルティックスに入団。ボストンセルティックスを11回の優勝に導いた事で有名であり、歴代最高のディフェンダー、延いては史上最も偉大なバスケットボール選手の一人にあげられる。11回の優勝に代表される選手としての功績だけでなく、当時リーグの内外で蔓延していた人種差別に毅然と立ち向かい、アフリカ系アメリカ人選手の地位を向上させた公民権運動家としての功績があげられる。ラッセルは黒人初のNBAスター選手であり、またアメリカ四大メジャースポーツ初の黒人ヘッドコーチだった。一方で当時差別に過剰に反応するメディアやファンを攻撃し、これだけの功績を上げているにも関わらず記者や1部の市民とは険悪な関係が続いていた。彼の背番号『6』は』はセルティックスの永久欠番でもあり、1975年にはバスケットボールの殿堂入りを果たしている。2009年のNBAオールスターでは、ラッセルにとって喜ばしい発表があった。NBAはラッセルの11回の優勝などの功績を讃え、ラッセルが一度も獲得することのなかったファイナルMVPを、「ビル ・ラッセル・NBAファイナルMVP賞(Bill Russell NBA Finals Most Valuable Player Award)」に改名すると発表した。



